ARNYS Forestière ― Appointment Only
"Thierry Mugler(ティエリー・ミュグレー)"は1973年にパリでブランドを設立しました。
1980年代のファッション史において、彼はジョルジオ・アルマーニが推進した柔らかなアンコンストラクテッドジャケットとは対極に位置する存在でした。
肩幅を強調し、ウエストを絞り込み、人間の身体を建築的な造形物として捉えるアプローチによって独自の地位を確立します。
ただし1990年代に入ると、ブランドはランウェイ上の造形表現だけではなく、実際の生活の中で機能する衣服へと領域を広げていきます。
本個体はその変化が非常によく現れた一着です。Muglerらしい身体構築への関心を維持しながらも、過度な誇張を避け、現実的な着用環境に適応した設計となっています。
Thierry Muglerは元々バレエダンサーとして活動していました。
その経験は服作りにも大きく影響しています。
一般的なテーラーが平面的なパターンから人体へ近付けていくのに対し、Muglerは人体の動きそのものを起点として服を設計していました。そのため彼のジャケットは肩や胸を大きく見せるための服ではありません。身体の各部位がどのように動き、どこで布が引っ張られ、どこで余剰が生まれるのかを分析した上で構築されています。
本個体の複雑なパネル構成も、その考え方の延長線上にあります。
1990年代にかけて、ヨーロッパのラグジュアリー市場ではクラシック回帰が進行していました。
1980年代の過剰なボリュームや派手な装飾から離れ、素材やカッティングによる差別化が重視されるようになります。アルマーニ、ジル・サンダー、ヘルムート・ラングなどが市場を牽引する中で、Muglerも変化を求められました。
その結果生まれたのが、本個体のような軽量素材を用いたテーラードジャケットです。
構造そのものはブランドらしさを維持しながらも、視覚的な主張を抑え、素材やパターンによる造形へ重点を移しています。
最も注目すべきは前身頃の構造です。
胸ポケット下から裾に向かって大きく弧を描く切替線が確認できます。一般的なテーラードジャケットではダーツ処理で行う立体形成を、Muglerはパネル構成によって実現しています。
これは単なる意匠ではありません。
ダーツを深く取ると局所的な張力が発生しますが、パネル化することで張力を複数箇所へ分散できます。結果として軽量素材でも立体感を維持できるのです。
特にコットンリネンのような復元力の高い生地では、この手法が非常に合理的です。
平面的な仕立てでは生地が浮いてしまうため、構造そのものによって身体への追従性を高めています。
シェルはコットン53%、リネン47%。
非常に計算された混率です。
リネン100%であれば剛性が強く、シワの発生も大きくなります。一方でコットン比率を高めすぎると、リネン特有の張りと通気性が失われます。
約半々という配合は両素材の特性を均衡させるための選択と考えられます。
また写真から確認できるように、織密度は比較的高く設定されています。粗いサマージャケット生地ではなく、テーラードジャケットとして必要な形状保持力を確保するためです。
さらにリネン繊維は中空構造を持つため熱伝導率が高く、体温を素早く放散します。
一方でコットンが加わることで吸湿性と柔軟性が補完されます。
結果として春夏向けでありながら、ジャケットとして必要な輪郭を維持する素材構成となっています。
裏地にはベンベルグ50%、レーヨン50%を採用。
ベンベルグはコットンリンター由来の再生繊維であり、静電気が起こりにくく吸放湿性能に優れています。リネン混シェルとの組み合わせは合理的であり、着脱時の摩擦軽減にも寄与しています。
本個体のシルエットは1990年代Muglerの特徴が色濃く表れています。
肩線は比較的自然です。
しかし胴体部分には明確な絞りが存在します。
重要なのは、肩で大きく見せるのではなく、胴体で細く見せている点です。
これは1980年代のパワースーツ的な造形とは異なります。
前身頃のパネル処理と背面の縦方向ラインによって、身体の中心へ視線を誘導する設計となっています。そのため実寸以上に細く見える効果があります。
また着丈も極端に短くありません。
モードブランドに見られる視覚的な誇張ではなく、実際の着用環境を想定したバランスに調整されています。
ラペルはピークドラペルに近い形状ですが、クラシックなビスポークジャケットほど鋭角ではありません。鋭いピークドラペルは肩幅を強調しますが、本個体は胴体の縦方向ラインを強調することを優先しています。そのためラペルも比較的細く設計されています。
視線が横へ逃げず、中心線へ集約されるのです。
また、ボタンには金属素材が使用されています。
軽量なコットンリネン生地は視覚的な重量感が不足しやすいため、フロント中央へ金属の反射を配置することで重心を形成しています。単なるデザインではなく、服全体の見え方を制御するための視覚設計と言えるでしょう。
さらにフラップポケットも興味深い構造です。
一般的なテーラードジャケットと比較するとポケット位置がやや低く設定されています。
これによりウエスト位置が強調され、縦方向のプロポーションが強く見えるよう設計されています。
Muglerが得意とした身体補正的なパターンワークがここにも確認できます。
現在のアーカイブ市場においてThierry Muglerは1980年代の造形的な作品へ評価が集中しています。
しかし実際に着用する衣服として見るならば、本個体のような1990年代のテーラードジャケットは極めて興味深い存在です。
ブランドを象徴する身体構築の技術を維持しながら、コットンリネンという実用素材を用い、現代の日常着として成立する水準まで再構築しています。
Thierry Muglerが1980年代の造形主義から1990年代の実用的テーラリングへ移行していく過程を示す資料的価値を持つ一着として評価できるでしょう。
■size(cm)
表記サイズ:54
肩幅49/身幅56/着丈78/袖丈66.5
ウエスト94/裾幅9.5/股上35.5/股下71.5
■textile
Shell:Cotton53% Linen47%
Lining:Bemberg50% Rayon50%
■model
■condition
とても綺麗な状態です。
その他は画像をご確認下さいませ。
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