ARNYS Forestière ― Appointment Only
90年代の"Thierry Mugler(ティエリー・ミュグレー)"を語る際、多くの方が思い浮かべるのは、強く構築されたジャケットや大胆なショルダーラインではないでしょうか。
しかし実際にブランドの設計手法を理解する上で重要なのは、そのような象徴的なアイテムだけではありません。むしろスラックスのような日常的なアイテムにこそ、Muglerが人体をどのように捉え、どのような構造で服を設計していたのかが色濃く表れています。
Thierry Muglerは1970年代から80年代にかけて独自の地位を確立したフランスのデザイナーです。
当時のパリではGiorgio Armaniが軽やかなアンコンストラクションを推し進め、Jean Paul Gaultierが既存の衣服概念を再解釈していました。
その中でMuglerは人体そのものの構造に着目し、身体を立体的に見せるためのパターン設計を追求していました。
90年代に入ると、その手法はより実用的なメンズウェアへと展開されていきます。
極端な造形ではなく、日常着として成立するアイテムの中へ独自のパターンワークを落とし込むようになりました。
本個体はまさにその時代を象徴する一本と言えるでしょう。
まず注目すべきは素材です。
一般的なコットンリネンのスラックスは、通気性や軽量性を重視した比較的マットな表情の生地が採用されることが大半です。しかし本個体はそれとは明確に異なります。
生地表面には独特の光沢があり、角度によって反射が大きく変化します。これは単に繊維が細いという理由ではなく、高密度で織り上げられたコットンとリネンの混紡組織によるものです。さらに表面には不規則な節が確認でき、均質な平織りとは異なる複雑な表情を形成しています。
この凹凸はリネン特有のネップだけではなく、スラブ糸を用いた「すすり織」のような視覚効果によって生み出されていると考えられます。均一性を排除することで光の反射に差が生まれ、生地自体に立体感が形成されるのです。
なぜこのような素材を選択したのでしょうか。
その理由はシルエット設計との関係にあります。
仮に同じパターンを柔らかなウールで製作した場合、生地は重力に従って縦方向へ流れすぎてしまいます。一方で一般的なリネンのみでは反発力が強くなりすぎ、身体から離れた部分が過度に膨らみます。
このコットンリネン混紡は両者の中間に位置します。
リネンが輪郭を維持し、コットンがドレープを補助する。
その結果として、身体に密着せず、それでいて輪郭を崩さない独特の立体感が成立しているのです。
シルエットについても非常に興味深い設計が見られます。
一見するとノータックのシンプルなスラックスですが、腰回りには十分な運動量が確保されています。通常ノータックでゆとりを確保しようとするとフロントに余計な膨らみが生じますが、本個体では側面からヒップにかけて容量を配分することで、フロントを整理しながら可動域を確保しています。
これは同時代のArmaniに見られる流動的なワイドトラウザーとも異なります。またHelmut Langのような細身のミニマルデザインとも異なります。
Muglerは身体を包み込むことではなく、身体の輪郭を制御することを重視していました。
そのため全体は細すぎず太すぎず、それでいて人体のラインが整理されて見える設計となっています。
フロントポケット周辺の処理も特徴的です。
一般的なスラックスであれば、ポケット口の補強は最低限に留められます。しかし本個体ではポケット脇に細かな縦方向のステッチが連続して配置されています。
これは単なる補強ではありません。
人間の視線は縦方向の線を追う傾向があります。そのためポケット脇に明確な縦軸を設けることで脚全体が長く見え、シルエットが整理されて見えるのです。
さらに、この縦ステッチは生地表面の自然なシワとも連動します。
均一な平面ではなく、光沢と陰影による立体感が生まれるため、脚部全体の奥行きが強調されます。
こうした処理は縫製技術というよりも、身体の見え方を調整するための設計手法と考えるべきでしょう。
本個体の中でも特にMuglerらしさが表れているのがベルトループです。
一般的なドレススラックスのベルトループは垂直方向に配置されます。しかし本個体では独特な角度と幅を持たせたループが採用されています。
これによってウエスト周辺が単なる水平線として認識されなくなります。
複数の面に分割され、身体の曲面に沿った立体的な構造として視覚化されるのです。
Muglerはジャケットでも切り替えやダーツによって身体を立体化することを得意としていましたが、このスラックスにおいても同様の発想が確認できます。
小さなパーツでありながら、全体の見え方を大きく左右する重要なディテールです。
バックポケットの仕様も興味深いポイントです。
玉縁ポケットに加え、シルバーボタンが配置されています。
機能面だけで見れば必須の仕様ではありません。しかし後ろ姿において視覚的な重心を形成する役割を担っています。
黒に近いグレーの生地の中で金属だけが反射する。
その結果としてヒップ位置が強調され、身体の重心が高く見える効果が生まれます。
これはクラシックなテーラリングにも見られる考え方ですが、Muglerはそれをより意匠的に表現しています。
評価される理由は単なるブランドネームではありません。
コットンリネンによる特殊な織組織、独自形状のベルトループ、縦方向の視覚効果を生み出すステッチワーク、そして身体の輪郭を整理するパターン設計。
これらが一体となって成立しているからこそ価値が生まれています。
90年代のThierry Muglerが、素材・構造・パターンをどのように組み合わせて人体を設計していたのか。
その過程を具体的に読み取ることのできる一本です。
ブランドの代表作とは異なる角度からMuglerの設計手法を検証できるという点においても、アーカイブピースとして十分な資料価値を持つ個体と言えるでしょう。
■size(cm)
表記サイズ:54
ウエスト94/裾幅9.5/股上27.5/股下79.5/総丈107
■textile
Shell:Cotton53% Linen47%
Lining:Bemberg50% Rayon50%
■model
■condition
とても綺麗な状態です。
その他は画像をご確認下さいませ。
発送まで4日程度頂戴いたします。
【必ずオンラインサイト下部の特定商取引法に基づく表記をお読みになってからご購入ください。】
※神経質な方のご購入はご遠慮ください。
※NCNR、ビンテージやアンティークにご理解のある方のみご購入下さい。
新商品やキャンペーンなどの最新情報をお届けいたします。