2025/06/10 00:35



インターネットが日常に溶け込んだ今、

私たちはあらゆる情報に瞬時にアクセスできるようになりました。


レビューを読んだり、スペックを比べたり、体験談に触れたり。

調べれば調べるほど、そのモノについて「なんとなくわかった気持ち」になれる時代です。


でも、それだけで「本当に理解できた」と言えるのでしょうか?

海外の景色「画面越し」と「実際立つ」ことの違い



たとえば、海外の美しい街並みを写真で見たとき、

「行った気になる」ことはできます。


現地の建物、光の色、カフェの雰囲気──

画面越しに想像をふくらませることもできるでしょう。


でも実際にその土地に立ち、風を感じ、音を聞き、

匂いを吸い込んだときにしか味わえない感動があります。


石畳を踏みしめる足元の感覚や、広場に響く子どもたちの声、日が沈んだ後の空気の冷たさ。

そうしたものは、画面越しには伝わりません。


私自身、仕事で直接ヨーロッパへ渡っていますが、

海外を本当に「知った」と言えるのは、

自分自身の五感を通して体験したときなのだと思います。

ARNYSの服と、まとうという体験

このことは、服についても同じです。

フランス・パリの老舗メンズウェアブランド「ARNYS(アルニス)」には、言葉や画像では伝えきれない魅力があります。代表的な「フォレスティエール」ジャケットを例にとっても、布の重みや落ち感、肌に触れたときの温度感、姿勢が自然と整うような着心地──それらは、袖を通したときに初めてわかるものです。


服の哲学や背景、職人技の美しさは、

体験を通して心と身体に染み込んでくるもの。


「知っている」ではなく、「感じている」。

その違いは思っている以上に大きいのかもしれません。



理解とは、自分の身体を通じて深まっていくもの


これはどんな事に対してもきっと同じです。

知識を得ることは素晴らしいことですし、それは体験への扉でもあります。

でも、その扉を開けて実際に中に入ってみる。

歩いて、見て、感じてみることで、知識が本当の意味で「自分のもの」になる。


海外旅行も、服を購入する事も──


その奥にある本質には、

自分自身の体験を通してしか出会えない価値があるのではないでしょうか。